三課長のバードマンニッキ

京都大学バードマンチームShootingStars在籍時の、人力飛行機制作に打ち込むさまを赤裸々に綴ったブログ、 になる予定が自分の趣味丸出しになったブログです。 もとのブログが潰れて以来放置していましたが、なんとなく思い立ったので引越しして復活させました。修正・更新はしませんが良ければ御覧ください。 これで携帯にも対応です。 時系列順になっていますので、一番古い記事の人物紹介を一読頂くと他の記事がわかりやすいかと思います。

2005年03月

弱肉強食

んなわけでやっと帰ってまいりました。天気予報の最低気温にマイナスがついてないのを見ると、帰ってきたんだなあという実感がありますねえ。

今日久々に工房へ行ってみると、市場他数名の姿。よぉ久しぶり、と声をかけます。
お土産代わりにとチョコなんぞを振舞いつつ、ふと見ると机の上に他のお土産のお菓子。
「ああ、それOBの人たちの卒業旅行のお土産。」
ふーん、と言いながら一つ頂戴しました。なかなか美味しい。その時点で既に残りは1つ。・・・残念ながら、我がサークルでは運悪く食べられなかったらそのときいなかったそいつが悪い、という暗黙のルールが存在するため、ここから静かに水面下の戦いが始まるわけです。
「最後の一つ、食べていいですか~?」
このヤスハラの一言で全員のスイッチが入ります。
「えー、俺も欲しいなあ。美味しかったし」
「お前もう三つも食べたやんけ。食いすぎやで」
「ここは先輩に譲るべきだろ?」
「後輩への思いやりがほしいですよね」
「やっぱ食べてない人に残しとくべきじゃない?」
「んなこといって、お前みんなが帰った後食べる気だろ」
そんな折、竹田登場。
「ふう。ベニヤ買いに京都の西の端まで行って来たよ。これ食っていい?」
「お疲れ様~。大変だったな。でも駄目。
「えー。それだけを楽しみにしてたのに。てか市場、一人二個って言ってなかったけ?もう食べたら?」
「・・・一日二個だから。」
かくて互いに剣をつき合わせているかのごとき膠着状態。しかし、一言で状況は一変します。
「そういやあ・・・会長は?」
「書類を印刷しに行った。から、もうすぐ帰っ・・・」
「・・・」
(おさらい 会長→甘いものに目がない&権力者→帰ってきちゃったら絶望的→先に食べて証拠隠滅するしかない)
「まあ、俺が一番食ってないしな」
「おれ一番運動したし」
「ぼく一番年下ですから」
「いやいや」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」

・・・名物に美味いものなし。しかしそれは、もしかするとかくも醜い争いを見かねた結果としての必然なのかもしれません。

最終的に誰の胃におさまることとなったかはご想像にお任せします。その人が食べてない人(&会長)の恨みを買うといけませんしね・・・
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「それまでの喜び」と「それからの喜び」

それは、少し昔、私の古い友人から聞いた話。
当時、彼女が出来て間もなかった彼に対し、私&悪友たちは「最近どうよ?どうよ?」とうれしそうに聞きました。それに対し、彼は多少照れながらも、最近彼女と初めてキスした、と漏らしました。
「おおおおおお!!」と一気に盛り上がる私&悪友バカ一同。「で、どうよ?どうよ?」と根掘り葉掘り聞きだそうとします。
彼はそれに対して破顔したままこう答えました。
「いや、最初はキスってもっと気持ちいいものだと思ってたんだけどさ、実際してるときにはただ唇が触れ合ったってだけな感じで別にたいしたことはなかったんだよ、照れたけどね?でも、その後帰ってからさ、なんかこう、うれしさが込み上げてきたというか・・・」
当時は、おいおいおいおい幸せモ~ドだなコラァ許さん制裁じゃと突っ込みまくりだったのですが。

後々考えてみると、これはなかなか面白い話だと思いまして。いや、変な意味じゃなく。
普通私たちが喜びを覚えるのは、その行動の最中、もしくは以前な訳ですよ。どこかに遊びにいくとか、旅行に行くとか、×××とか(いやん)、あるいはもっと単純に、今日見たいテレビなんていうのでもいい。
しかし、行動後の喜び、というのはそれに対して圧倒的に少ない。昔見たテレビの内容や、修学旅行なんかももうほとんど忘れちゃっていますしね。これは何故かと考えてみると、人はやはり「復習」型ではなく「予習」型の人間だからではないかと。「待つ」ことも含めて楽しみなのであり、過ぎたことは過ぎたことで、また新たな未来の楽しみに向かって進む、人は基本的にそういうスタンスを取っていると思います。

現在の私たちもそういう考え、すなわち、鳥コンに出場して大記録を出す瞬間を楽しみにして頑張っています。しかし、鳥コンが終わったそのあとは?鳥コンに挑んだことは、大学時代の思い出として次第に薄れていってしまうのでしょうか?
普通ならここは「いや、そんなことはない、このかけがえのない出来事は、いつまでも私たちの心に大切な思い出として残るだろう。めでたしめでたし」とでも続くべき部分ですが・・・。残念ながら私もそんなキレイゴトをいっているほど純粋な年ではなくなってしまいました。めでたくないめでたくない。
実際撮った昔の写真などを眺めてみても、思い出せないことは多いです。写真の中ではとても楽しそうに笑っているんですけれども。
ですから、今年こうして皆で頑張った人力飛行機ですが、その結果がどうあれ、まず間違いなくそのかけがえない思い出も、私たちの中では年をとるにつれ薄れていってしまうでしょうね。
さて、ここで冒頭の話です。薄れていくと思うなら、この例は何だというのか。

私たちがこれからのこと、例えば鳥コンに楽しみを感じるのは、それがどうなるか「知らない」からです。プラットホームに立つとどうなのか、当日どんなことが起こるか、本当に飛ぶのか。それに考えをめぐらすのが怖くもあり楽しくもあるわけです。であるから、どうなるか「知って」しまった後は。犯人のわかっている推理小説を読むことが苦痛なように、あまり楽しむことは出来ないのではないかと。
ですが、時が経ち、その思い出が薄れてくるとどうでしょう?面白いことに薄れるほど、どうだったか「知らない」状態となっていくわけです。記録の数値や断片的な記憶はあっても、細かい部分は忘れています。映像などを残しておいても、そのとき自分が見て、感じた記憶とは違うものですし。そういったことに、想像も交えながら思いを馳せて楽しむ・・・。
おそらく冒頭の彼は、舞い上がってキスした時のことはしっかりとは覚えてなかったんだと思います。でも後からそのときのことをあれこれと思い浮かべて、ああ、ほんとにキスしたんだなあと思うにつれ、嬉しさが増した。そういうことなんじゃないでしょうか。
何年か経ってから、あの機体は私の目にどう映ったんだっけか、あのときのみんなの笑顔はどんな感じだっただろうか、そんなふうに薄れた思い出を掘り返してみる。かなり気の長い話ですが、そんな日がくるのを想像するのが楽しみでもあります。

しかし何年か経ってからバードマンニッキを読み返す日が来るだろうことは恐怖ですね・・・。過去の自分の文章を見返すことほど恥ずかしい事はないったら。 続きを読む

堀田さんは親切だったのですが

もし私がウメミツだったならば、今日のニッキは「バードマン温泉旅行 四国の秘湯を巡る~機体の代わりにボクがぶっとぶ~」となったんでしょうが、残念ながら私は所詮三課長なので「バードマントラック練習 急ブレーキは事故のもと~アクセル全開機体も全壊~」です。

人力飛行機で困るのが「輸送手段」です。ある程度分割できるようになっているとはいえ、全長30mを越える機体を運ぶのは容易ではありません。どこのチームも3t、4tクラスのトラックを使用しています。
しかし、人力飛行機ゆえの軽量が仇となります。機体を積むと、「4tトラック一杯に積んで全荷100kg」というギャグな状態となる訳です。
さて、完全積載状態、全重量8t近い状態でも止まれるトラックのエアブレーキを、機体積んだ状態で普通に踏み込むとどうなるか。 答え・・・ヤスハラが永久に目覚めなくなる
さらに4tトラックは、何でこれが普通免許で運転できるんだと言いたくなるほど普通車と違う点が一杯です。前述のエアブレーキに始まり排気ブレーキ、逆走防止装置、内輪差・・・ATという言葉はトラックの辞書にはありません。

てな訳で、皆の作業の結晶が一瞬で失われることのない様にと、私とヤスハラが、先輩の堀田さんの指導の下頑張って練習しました。練習は終始和やかムードで進み、最後には笑顔が浮かぶほどでしたね。
「クラッチ踏めクラッチ!ギアが入ってないぞ!」
「当たる当たる当たる!寄せすぎだよ、ミラー見ろよ!」
「ウインカー出してんだろが!バカかあの原付!轢き殺すぞ!」
「ババァっ!!横断歩道じゃねえとこノタノタ渡んなっ!!」
「黄色なんか突っ切れ!カマ掘られるぞ。」
「へ、へへ、ここで急ブレーキ踏んだら玉突きでみんな死ぬなぁ・・・」
「あはは、京大合格して喜んで道路に飛び出して、俺らに撥ねられたら爆笑だよねー。」

ディーゼルエンジン車は色々な汚染を引き起こすそうなのでなるべくなら乗らないのが一番です。
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バードマンちょっと昔の話

むかしむかし。
ある村に箕千代と言う腕のいい畳職人がいた。しかし田舎の村のこと、あまりその技が役に立つことはなく、他に細々と副業をして何とか暮らしていた。
そんなある日、仕事場へ行くと一人の見知らぬ大工が箕千代を待っていた。その男はいぶかしみながら近づいてきた箕千代に、丁寧な口調でこう話しかけた。
「お初にお目にかかります。わたくし、都で大工をしている好露と申すもの。この度、箕千代殿の作られる畳が非常によいものだと聞き及び、ここまで参った次第です。今回、是非貴方に仕事をお願いしたいのですが。」
そんな不確かな噂でこんなところまで尋ねてくるとは大層おかしな話だとは思ったものの、相手は身なりもきちんとしており、怪しい様子もない。何よりこんな自分の腕を買ってくれている、という言葉にいたく感激した箕千代は、喜んで依頼を引き受けることにした。
「ありがとうございます。では、明日までに畳を20枚、お願いしたいのですが。」
だがこれを聞いて箕千代は仰天した。確かに無理をすれば作れぬ数ではないが、あまりにも常識はずれな量である。
しかし、好露は代金として前払いで十分な額を支払った。けして冗談と言うわけではないようだ。箕千代は何か急ぎの仕事なのだろう、と思って了承し、その日頑張って見事な畳20枚を作り上げた。

次の日。
再び尋ねてきた好露は礼を言って荷車に畳を積んだ。そしてさらに箕千代にこう述べたのである。
「申し訳ないのですが、もう20枚、明日までに作っていただけますか?」
驚いたのは箕千代である。彼は自分の作った畳に何か気に入らないところがあったのか、と尋ねた。だが好露は首を振り、弁解を述べた。
「いえ、そうではないのです。多くの畳が必要なのですが、一度に無理を言って多くの数をお頼みしても悪いと思い、昨日は20と申したのです。できればこれから毎日、同じ数を作っていただけませんか。勿論代金は十分お支払い致します。」
無茶な話だったが、そう言われては箕千代も断れない。了承すると好露は頭を下げ、帰っていった。
次の日も、また次の日も。好露は箕千代のもとを訪れ、代金を支払い、出来上がった畳を持って帰った。
そんな日々が幾日か続いたころ、さすがに箕千代もおかしいと感じ始めた。果たしてあれほど多くの畳を何に使うのか。たとえ大貴族の邸宅でも、あれほどは使わぬはず。それにそもそも、この田舎と都を毎日往復していたら、それだけで一日が終わってしまう。一体好露はどこに畳を運んでいるのか?
しかし支払われた代金は本物の貨幣だったし、騙されているような様子はない。考えれば考えるほど訳がわからなかった。

そしてある日、ついに箕千代は好露の後を尾けてみることにした。畳を運ぶ台車の後ろを、ひっそりとついて行く。
鬱蒼と茂る森の中を半刻ほど進み、少し開けた所で台車は止まった。その広場の真ん中には小さな小屋が建てられており、そこに畳は運び込まれた。
(どうやら大工だというのは本当なようだ。しかしあんな小屋にあれほどの畳が必要だとはとても思えないが・・・)
いぶかしむ箕千代の目に、次の瞬間驚くべき光景が飛び込んできた。小屋の中に、大小様々な獣たちが入っていったのである。箕千代は我が目を疑った。
箕千代が目を離せずにいると、獣たちは突然小屋の中で暴れ始めた。どうやら中に置いてあった餌の取り合いをしているようだ。どたん、ばたんと大きな音を立ててとても激しく動き回る獣たちに、ものの数分で小屋も畳もバラバラとなってしまった。その様子を、しかし好露はずっと悠然と眺めていた。

箕千代はおぼつかない足取りで何とか村に帰り着いたものの、しばらく放心したままであった。いまだに信じがたい光景ではあったが、夢ではない、見たというはっきりした記憶が頭に残っていた。
その夜。箕千代は畳を作りながら昼間のことを思い返していた。だんだんに冷静になり自分の見たことは本当に現実だったのだと自覚してくると、次第に箕千代の心には好露への猜疑の念が湧き上がってきた。
(好露は獣たちが畳を壊すのを、顔色一つ変えずに見ていた。ということは、ああなることがわかっていたし、それを望んでいた、ということだ。私が精魂込めて作った畳を、ああも無残に・・・。)
もしや、好露は私がどうせ壊される畳を知らずに必死になって作っている様を見てあざ笑っているのではないか。そんな風に思うと、怒りとやりきれなさで作業の手も進まなかった。

明くる日、いつも通りやってきた好露は、しかし差し出された畳を一目見るなり顔色を変えた。
「・・・何ですこれは。この程度の畳を頼んだ覚えはありませんが。」
箕千代はうろたえた。素人目にはわからないが、実際その畳はよくよく見ると目が粗く、出来の良くないものだった。色々と勘繰ってしまい、仕事に身が入らなかったのである。
だが一目で好露が見破ったことには驚いたものの、その後ねちねちと文句を言われるにいたり、ついに美千代の怒りが爆発した。彼は昨日見たことを話し、好露を問い詰めた。
好露はしばらくの間無言だったが、やがて意を決したように「わかりました」と言い、箕千代を昨日の場所に連れて行った。
驚いたことに、広場には昨日壊されたはずの小屋がもう一度建てられていた。もし好露が一人で建てたのだとしたら、おそらく相当な腕と時間がかけられたことだろう。
その小屋の後ろに、昨日は気付かなかったが十数枚の畳が積まれていた。どれも多少汚れてはいるが全く壊れてはいない。その畳を前に、好露は語りだした。
「・・・私は前に申しましたとおり、都で腕のいい大工として知られております。この度有難いことにその噂が帝の耳に入り、宮殿の一室の増築を任されたのです。・・・帝は私におっしゃいました。是非国一番の建物を建てて欲しいと。私はそれに応えるべく、最高の柱や瓦を用意しました。しかし、都のどこを探しても、私の求めるに足る畳が見つからなかったのです。そんな折、旅人から貴方の噂を聞きました。実際見てみると確かに素晴らしいもの。・・・しかしながら、例え超一流の腕で作られたとはいえ、作られた状況や原料の質の細かな違いで僅かながら品は変わります。悪いとは思いましたが、私は帝の期待に応えるため、どうしても最高の畳を見極める必要があったのです。」
それを聞いてやっと箕千代は得心した。確かに、積まれている畳は自分の会心の作ばかり。畳は見ただけでは内側の良さまではわからない。それを確かめるためのあの所業であったのだ。

ふと横に目をやると、たくさん連なる石の置かれた小山が、いくつも続いている。それを見て箕千代は疑問を感じた。
「これは・・・墓・・・ですか?」
「そうです。貴方の・・・壊されてしまった畳の、墓です。」
その答えに箕千代は驚愕した。山は百を下らないだろう、そのすべてが自分の「畳」の墓だというのだ。
「・・・どんなものでも、大切に心を込めて作られたものには『心』が宿ります。ですが私は、貴方の作った『心』の入った畳に、必要だったとはいえあのような残酷な事をした。畳への、そして貴方へのせめてもの償いとして、こうして墓標を立てたのです。」
その言葉に、箕千代はどうしようもないくらい心を打たれた。畳の墓を作り、そして小屋を建て直す。毎日この作業を行うことがどれほど大変なことか。おそらく、柱や瓦のときも同じようにしてきたのだろう。
箕千代は好露に感服し、その心遣いに感謝し、そしてそんな好露を責めた自分を恥じ、頭を垂れ心より謝罪した。

その後、箕千代は好露のためこれまでにないくらい真摯に丹誠に畳を作った。のちにその畳を用いて作られた部屋は、豪華ではないもののとても美しく見事かつ丈夫で、帝は大層お気に召したのだという。そうしていっそう都での名声を高めた好露であったが、けして奢ることなく、これは箕千代ら優れた職人がいてくれたおかげである、と常に謙虚な姿勢を崩すことはなかったということだ。
めでたしめでたし。


畳→スライス 好露→会長 箕千代→三課長 部屋→飛行機 帝→読売テレビ と置き換えると、バードマン的な感動ストーリーとなります。
・・・フィクションですけど。実際にゃあ使われないスライスは・・・
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このネタもいつまで使えるか

今日は、遠路はるばる滋賀県立大の方々が、物好きなことに見学に来られました。やはり普段の活動はどうしても閉鎖的になりがちな私たちですから、こうして他のチームの人と話をする機会というのは貴重ですね。こんなしがない三課の活動にも目を通して頂いてありがとうございます。
でも・・・
白井君に田中さん、あなたたちに熱心に説明していたウメハラくん、所詮あだ名が
○ リ で す か ら ~伏字になってない・・・
ま、想像ついたでしょうし残念じゃないと思いますけどね。

滋賀県立大の皆さんは、今年からプロペラ機に挑戦するのだそうです。新しいことに挑戦するのは、いまのライブドアのように世の風当たりも強く、難しいものです。われわれの今年の機体とて、かなりの部分を新しく変更したとはいえ、機体全体で見れば9割近くは元のままですから。
もちろん、ただ新しい事を始めるだけなら簡単ですが、「新しいこと」に変えるには、変えるだけの「理由」と変えたほうが間違いなくいいという「確証」が必要です。これは簡単なことではありません。学問なども同じですが、温故知新、変えたいと思っていることについてもよく知った上で、さらに革新的なことを思いつかねばならないのですから。
われわれも今回は先輩風を吹かして教えていましたが、逆に滑空機についての知識はほとんどありません。そちらの知識も生かして、皆さんがいずれ、私たちの良きライバルとなってくれることを(ちょっと困るけど)願っています。

しかし、ウメハラが新しい娘と始められるのは、一体いつのことになるのでしょうかねえ…。 続きを読む
プロフィール

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