三課長のバードマンニッキ

京都大学バードマンチームShootingStars在籍時の、人力飛行機制作に打ち込むさまを赤裸々に綴ったブログ、 になる予定が自分の趣味丸出しになったブログです。 もとのブログが潰れて以来放置していましたが、なんとなく思い立ったので引越しして復活させました。修正・更新はしませんが良ければ御覧ください。 これで携帯にも対応です。 時系列順になっていますので、一番古い記事の人物紹介を一読頂くと他の記事がわかりやすいかと思います。

バードマンちょっといい話

バードマンちょっといい話第11話

蝉は、サナギとして土の中にいるときと、成虫となって夏の青空に飛び立つときと、どちらが幸せなのだろうかと考えることがある。無論、普通に考えるなら狭苦しい地中より、自由に飛びまわれるほうが幸せだと思える。だが本当にそうだろうか?
何年も土の中にいる間、蝉は外敵の恐怖に晒されることも無く、静かに過ごすことができる。いつか飛び立つ日のことを夢見ながら、少しずつ成長していくだけでいい。しかしいざ成虫となって飛び立てば。鳥や人やという外敵に怯え、他の蝉と子孫を残すために争い、例え生き残れても夏の終わりとともにその短い自由な時は終わりを告げてしまう。そう、蝉にとって成虫になるとは、沢山の枷を付けて大空に飛び立たねばならないということでもあるのだ。

鳥人間コンテストがあくまでテレビ番組であるという特殊性は、多くの枷を私たちに課す。デッドウエイトとなるオンボードカメラを積まねばならなかったり、飛び立つ時の条件を選べなかったり。しかし最大の枷は、それが番組として「全国に放送される」ことだろう。成功であれ失敗であれ(まあ失敗なら短くカットはされるだろうが)フライトは多くの、日本中の人に見られることになる。そのプレッシャーは相当なものだろう。
とはいえ、私たちのほとんどはそう硬くなることもない。本番、プラットフォームに昇った時点で、私たちのすべきことはほとんど終わるからだ。テレビにもそう映ることはなく、後は保持するくらいのもの。夏の青空の下に出てしまえば、もう出来る事は何も無い。そう、ただ一人を除いて。
われらがパイロット、片平圭貴にすべては委ねられるのだ。

本番では、少しのミスが命取りになる。高いポテンシャルを持ちながら、わずかな失敗で墜落の憂き目を見た機体は数知れない。まして我々の機体は今まで本番でロングフライトをしたことが無い。しかし、去年の記念飛行や今年の試験飛行を見るに、今年はかなり期待が持てると言えるだろう。
思えば不条理なもので、私たち作業する人間が機体をいいものにすればするほど、パイロットは追い詰められていく。前後、左右のバランスが完璧になるほど、試験飛行で操縦訓練の数をこなすほど、失敗したときの言い訳ができなくなっていくから。そして私たちの期待も大きくなっていくから。片平が背負わねばならない期待は、おそらくオンボードカメラなどよりはるかに重く感じられることだろう。

その重圧と、失敗への恐怖感と、本番への不安と・・・おそらく、私には想像もつかないくらい、片平は数々の心配に苦しめられていることと思う。
しかし、大会をすぐ間近に控えた今となっても、彼は笑顔を見せるのだ。いつもの通り、関西弁の軽いノリで。そんな枷など、気にも留めないとすら思わせるほどに。

「飛ぶでぇ・・・」
しかし、しばしば垣間見せる真面目なこの台詞は、「飛べると信じている」という内に秘めた意思を感じさせる。

だから私も信じようと思う。
鷭が大空を舞うその時を。皆が笑顔になる、その時を。
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バードマンちょっといい話 第10話

私たちのサークル独特のウリとして、「バードマン3兄弟」がある。
三人兄弟揃って京大に入るという、本当に冗談のようなところからしてすごいものだが、その全員がバードマンという比較的小さなサークルで頑張ってきたというのは、ちょっと他にはないんじゃないだろうか。
そして今度の大会で、その最後のひとりも引退を迎えることになる。

主翼班最大レベルの難度を誇る作業の一つが「三次元切り出し」だ。技術は勿論のこと、作業する二人の息をぴたりと合わせる協調性も必要となる。自惚れ抜きで、私とユキオのペアはこの切り出しの息の合わせ方は抜きん出ていると思う。
であるが故に、後輩などに「私とユキオは昔すごく仲が悪かった」というと、割と驚かれる。しばしば冗談半分で「切り出しは仲が悪いほど上手くいくんだぞ~」と言うことがあるが、実はあながち嘘でもないのだ。

「だから、そんなに作業急ぐ必要全然ないだろーがっ!!」
「早く終わらせといたほうがいいに決まってるだろ!?」

昨年の機体製作中、同回の最大穏健派(要はサボりたがり)であった私と最大急進派(要はド真面目)であったユキオは度々口論を繰り返していた。もっと早く来い、自分の仕事をしろとがなりたてるユキオに対し、休み中くらいゆっくりさせろ、何で雨中パシらないかんのじゃと食って掛かったことは数知れない。
思えば当時ユキオは、兄達と共に頑張ってきた上回生やOB等の知名度や期待が高く、それに応えサークルを支えようとかなり頑張りすぎていた感があった。片や、さして重要でない主翼三課なんぞという立場で、楽しくやるのが一番よ~といった感じである私との対立は、ある意味必然ではあったかもしれない。

紆余曲折を経、私が少し真面目になり、ユキオが少し丸くなったことで、言い合いをすることはほとんどなくなり(どちらかというとユキオの歩み寄りのほうが大きいかな)、仲が悪かったことも、こうして苦笑いと共に昔話として話せるようになった。
ただ変わらないのは、ユキオはサークルの中心であろうとしていることだ。無論まとめ役は会長だが、機体のことを相談したり作業を頼んだり、皆で集まって謎の晩餐会を開こうということになると、皆まずユキオに頼る。そして彼は、それに応えられるだけの力を持っているのである。
きっと変わったのは、バードマン兄弟三男という肩書きのプレッシャーを振り払ったこと、ではないだろうか。そんな理由などなかったとしても、彼は今の私たちにとってとても頼れる存在であり、なくてはならないメンバーだ。そう私たちが、そして彼自身が気付いたからであるように思える。

「試験飛行そんなに多くやんなくってもいいじゃねーかよお・・・」
「いや、新しい機体なんだしそれくらいは必要やで?」

今年に入ってからもユキオと私のスタンスは基本的に真逆だ。
だがそれでいて切り出しの成功率は、去年より抜群に良くなっているのである。


その当人がこのニッキをしばらく見てくれてないということからも仲の悪さが窺えるわけだが。とある事実について、HPに書くなとその当人から念を押されている。のでここでは婉曲に留めることにしよう。
バードマン3兄弟の足跡は永遠である。
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バードマンちょっといい話 第9話

本日4月27日は何の日か?まぁバードマンニッキを読んでいる人なら分かると思うが、今日は三課長こと位高氏の大切な日、もといバースデイである。今日はそんな彼に代わって私がバードマンニッキを書かせて頂く。

そもそも何故こんな企画が持ち上がったかというと、ある日の工房で
U「三課長の誕生日何する~?」
I「バードマンニッキ書いちゃうとか」
L「それ熱い」
とたった三行の会話で決まったわけではもちろんなく、いつも睡眠時間を削り数時間かけてバードマンニッキを更新している三課長の労力を少しでも分かち合おうと、彼の22回目の大事な日にニッキの乗っ取りを企てたわけである、まる。

さて、今回のタイトルを見てくれれば分かるとおり、三課長はこれまで度々「ちょっといい話」と称して、彼の同回生のメンバーのことを語ってきた。そのたび、我々は自身でも気付き得なかった自分のことを知らされ、驚嘆したものだった。彼は何故これほどまでに私達のことを知っているのだろうか?それは彼が「大人」だからだろう。

もちろんそれはただ年齢のことではない。彼の言動、振舞いは落ち着いた熟年の男性のそれであり、我々はふとした時その事に気付き、はっと息を飲むのである。その父性を本能で感じ取った私のような者は、次第に彼に懐き好きになっていく。そんな人間が彼の周りにはいつも集まってくるのだ。

大学という寒々しい環境の中、まるで彼は一本の大樹のようにそこに存在している。その傍へ訪れる人々は、木登りをする少年、鬼ごっこをする子供達、木陰に瞑想する青年、果実を捥ぐ動物、幹にもたれる恋人たちなど、実に様々である。その全てを遮ることなく、彼は受け入れるだろう。そして彼は自分を愛する、自分の愛する多くの人々にかこまれながら、その枝葉を伸ばすのだ。彼の許に集まった9人の仲間達と過ごすように。

何かと理由をつけて皆が彼の部屋へ行くのは、彼が私たちの全てを赦し、受け入れてくれるような、そんな気がするからかもしれない。

22歳の誕生日おめでとう!

追伸
14人の仲間達からお祝いのメッセージが届いております。三課長ならどのメッセージが誰からのものかもちろん分かってもらえると思い、失礼とは思いますが名前を伏せクイズ形式でお送りさせて頂きます。他の方々も、自分がどの程度他のメンバーのことを分かっているのかのパラメータとしてお試し下さい。例によって反転させて下さいネ。

・体には気をつけてね(片平)
・ストレスためんように(ボス)
・長生きしてね(玉井)
・桂行っても位高邸行きます(安原)
・今度は寝袋もって行きます(林田)
・健康と頭皮には気をつけて(竹中)
・自虐に走ると若さを失いますよ(梅津)
・いのちだいじに(ミィ)
・愛してます(市場)
・後部胴がんばって(竹田)
・最長老様、ドラゴンボールどこですか?(菊谷)
・三課はオレにまかせろ!多分(劉君)
・17本目からは~一緒に火をつけたのが~昨日の~ことのように?~(梅原)
・これからもニッキおねがいします(鈴木) 続きを読む

バードマンちょっといい話 第8話

シュレック、というヒットしたアメリカの映画がある。この主人公は怖いモンスターの風貌でありながら、とても根は真面目で優しいという設定だった。そんな意外性が観客の心を捕らえたのであろう。
このサークルにも、ちっちゃくってかわいらしいあだ名でありながらその実、サークルを支えるほどデッカイ男がいる。そう、ミイこと稲川雅之その人である。

単位取得数、率ともにサークルのみならず学部でもトップクラス。運転させればAT限定で取ったとは思えないほどのドライビングテクニック。そしてやはり圧巻は作業だろう。その妥協を許さぬ正確さ、仕事を選ばぬ万能ぶりはもはやサークルになくてはならないものだ。

思えば寡黙な男だ。会話もそうだが、メールも短い。同郷の市場が饒舌な分そう感じるということもあるが、サークル入会時、黙々と真面目に遅くまでリブを作っていた姿は今でも記憶に残っている。その姿はまさに熟練工といった感じで、とても新入生とは思えなかった。今でも、やはり纏う雰囲気は我々の一段上であるように感じられる。本来軽口であるはずのあだ名にさえ、多くの人間が「ミイさん」と敬称をつけてしまうのも、無理からぬことである。
そんな彼であるからこそ、その一言一言には重みがある。つい先日、ミーティングでの遅れがちだった各部所の報告を聞いての「・・・4月中頃までには、機体完成させるよ?」という一言は、休み気分で緩みがちだった私たちの心を再びキリリと締め上げるには十分であった。

そんな訳で、サークルでもミイへの信頼はすこぶる厚い。しかし、ただ寡黙で優秀なだけでは人心を集めることはできない、むしろ敬遠されがちになるというのは周知の通りである。それでいてなぜミイはこれほど皆に好かれるのか。
私が思うに、彼はサークルにとっての優秀な「ツッコミ」なのだとおもう。
漫才において、ツッコミは極めて重要だ。ボケのここが笑いどころだと上手く示してやる。それはほんのわずかな狂いもなく完璧なタイミングで、完璧にツッコまなければ、その笑いを殺してしまうし、漫才が締まらない。それだけではない、ただ機械的にツッコミを入れるだけでは優秀なツッコミとはいえない。時にはノリツッコミのように、自らもおどけて見せることで、笑いを増幅させることも必要なのだ。

ミイは寡黙だ。しかし、時には大声で笑うこともあるし、くだらない話を振ったりもする。サークルの和やかな雰囲気を壊すことはない。むしろ普段真面目な彼の笑いが、サークルの雰囲気をいっそう和らげることもある。
だが、彼は最後の一線では厳しく忠告を発する。サークルが、本来の姿から脱線しすぎることのないように。Shooting Starsが、Shooting Starsであるように。

サークルで彼が「なんでやて!」とツッコミを入れてくれているのを目にするたび、私の脳裏には鳥コンというステージで我々の機体が拍手喝采を浴びている光景が、しばしば思い浮かぶのである。 続きを読む

バードマンちょっといい話 第7話

「ちょっとぉ、ユキオと吉松さんおる?」
怒りを隠そうともせず、リブを片手に竹田が工房内へと入ってくる。
「え~?」「何?」
「あのぉ、リブこんなに適当に作ってもらっちゃ困るんやぁ。・・・ユキオこれ20分で作ったやろ?信じれんぞ?」
「ああ、ごめん」
「吉松さんも、紙型をつけたままやすってらしたでしょう?気をつけていても削れてしまうから止めてください」
「ぅ、うん、わかった」

竹田 寛、という男は、うちのサークルで最もその本質が捕らえにくい人物だ、と私は思っている。田舎くさいんだかそうでないんだか、しっかりしているんだかそうでないのか。それでいて中途半端、といってしまうには印象的過ぎるのだ。
今日も、私が些細なことで寮生と言い争う機会があったのだが、竹田が間に入って諌めてくれた。(いやすまなんだ竹田)こういうとき竹田は極めて世渡り上手に、いやもうおっしゃるとおりですとイエスマンになる・・・訳ではない。先の例にもあるが、言うとこはしっかり言うのだ、「いやでもぉ、そこは~だと思いますよ」などなど。しかし決して意固地ではない。普段もそうだが、こっちがきっちり反論すると、「う~ん、そうかもしれんね」とこっちが拍子抜けしてしまうくらいすぐ折れる。
これだけ書くと優柔不断な感じに聞こえるかもしれないが、全然そんなことはない(竹田が優柔不断なんて言ったらサークルの皆に笑われかねん)。ボクシングで言うなら、凄いハードパンチャーでビシバシ打って来るのに、こっちの反撃は簡単に受け流してしまう感じ、というのがぴったりかなと思う。いい意味でマイペース、自分の意見はきっちり持っているけれども、無理にそれを通そうともしない。自分の独特のリズムを持っている。彼と話していると私たちも、そんなリズムに乗せられてしまうのだ。

また彼、竹田は会長に対しては敬語を徹底している。私などが間に入っていても、見事に言葉を切り替えて見せるのだ。会長自身はそのことに戸惑いを覚えているようだし、他のメンバーは「あいつ体育会系だから」の一言で済ませているが、私はそう単純なことではないと考えている。というのも、竹田は会長に対して敬語は欠かさないものの、異論がある場合には友人のように遠慮なく文句を言うということもあるからだ。彼にとって会長は、目上でありながら友人である、と言える。この複雑な状況に至った理由はなんなのか。
これは彼と話してきたことからの推測だが、彼は会長、と言うものをそのように見ているということなのだと思う。
そもそもうちのサークルは、学年と言う括りを除くと非常に上下関係に乏しい(むしろ除かなくてもだ)。何しろ同回生は一年目からの「盟友」だ。しかしそれでも、形として会長、と言う役職を据えねばならない。物事を常に多数決で決めるわけにもいかない、最終的な決定者は必要だからである。しかし今まで対等だった人たちに対して、突然あれこれ命令できようはずもない。現会長も、事の決定では過剰に民主主義的になるところがある。竹田はそのことに対する憂いがあったのだろう、「もっと会長らしくして欲しいんやぁ」と洩らすことがあった。
彼は敬語を使うことで、彼女は我々の上に立つ「会長」なのだと彼女に、そして私たちに示しているのではないだろうか。だが、その言葉の内容は対等に話すときとなんら変わりない。文句も言うし世間話もする。会長は「会長」でありながら「仲間」でもある。そんな自分なりの「サークルのあり方」についての彼なりの意見を、普段の態度で表しているのではないだろうか。

言うなれば、彼はサークルと言う腰骨を支える椎間板と言ったところか。・・・願わくは、こちらは腰痛を起こすことのないよう、祈りたいものであるが。 続きを読む
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