蝉は、サナギとして土の中にいるときと、成虫となって夏の青空に飛び立つときと、どちらが幸せなのだろうかと考えることがある。無論、普通に考えるなら狭苦しい地中より、自由に飛びまわれるほうが幸せだと思える。だが本当にそうだろうか?
何年も土の中にいる間、蝉は外敵の恐怖に晒されることも無く、静かに過ごすことができる。いつか飛び立つ日のことを夢見ながら、少しずつ成長していくだけでいい。しかしいざ成虫となって飛び立てば。鳥や人やという外敵に怯え、他の蝉と子孫を残すために争い、例え生き残れても夏の終わりとともにその短い自由な時は終わりを告げてしまう。そう、蝉にとって成虫になるとは、沢山の枷を付けて大空に飛び立たねばならないということでもあるのだ。
鳥人間コンテストがあくまでテレビ番組であるという特殊性は、多くの枷を私たちに課す。デッドウエイトとなるオンボードカメラを積まねばならなかったり、飛び立つ時の条件を選べなかったり。しかし最大の枷は、それが番組として「全国に放送される」ことだろう。成功であれ失敗であれ(まあ失敗なら短くカットはされるだろうが)フライトは多くの、日本中の人に見られることになる。そのプレッシャーは相当なものだろう。
とはいえ、私たちのほとんどはそう硬くなることもない。本番、プラットフォームに昇った時点で、私たちのすべきことはほとんど終わるからだ。テレビにもそう映ることはなく、後は保持するくらいのもの。夏の青空の下に出てしまえば、もう出来る事は何も無い。そう、ただ一人を除いて。
われらがパイロット、片平圭貴にすべては委ねられるのだ。
本番では、少しのミスが命取りになる。高いポテンシャルを持ちながら、わずかな失敗で墜落の憂き目を見た機体は数知れない。まして我々の機体は今まで本番でロングフライトをしたことが無い。しかし、去年の記念飛行や今年の試験飛行を見るに、今年はかなり期待が持てると言えるだろう。
思えば不条理なもので、私たち作業する人間が機体をいいものにすればするほど、パイロットは追い詰められていく。前後、左右のバランスが完璧になるほど、試験飛行で操縦訓練の数をこなすほど、失敗したときの言い訳ができなくなっていくから。そして私たちの期待も大きくなっていくから。片平が背負わねばならない期待は、おそらくオンボードカメラなどよりはるかに重く感じられることだろう。
その重圧と、失敗への恐怖感と、本番への不安と・・・おそらく、私には想像もつかないくらい、片平は数々の心配に苦しめられていることと思う。
しかし、大会をすぐ間近に控えた今となっても、彼は笑顔を見せるのだ。いつもの通り、関西弁の軽いノリで。そんな枷など、気にも留めないとすら思わせるほどに。
「飛ぶでぇ・・・」
しかし、しばしば垣間見せる真面目なこの台詞は、「飛べると信じている」という内に秘めた意思を感じさせる。
だから私も信じようと思う。
鷭が大空を舞うその時を。皆が笑顔になる、その時を。
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何年も土の中にいる間、蝉は外敵の恐怖に晒されることも無く、静かに過ごすことができる。いつか飛び立つ日のことを夢見ながら、少しずつ成長していくだけでいい。しかしいざ成虫となって飛び立てば。鳥や人やという外敵に怯え、他の蝉と子孫を残すために争い、例え生き残れても夏の終わりとともにその短い自由な時は終わりを告げてしまう。そう、蝉にとって成虫になるとは、沢山の枷を付けて大空に飛び立たねばならないということでもあるのだ。
鳥人間コンテストがあくまでテレビ番組であるという特殊性は、多くの枷を私たちに課す。デッドウエイトとなるオンボードカメラを積まねばならなかったり、飛び立つ時の条件を選べなかったり。しかし最大の枷は、それが番組として「全国に放送される」ことだろう。成功であれ失敗であれ(まあ失敗なら短くカットはされるだろうが)フライトは多くの、日本中の人に見られることになる。そのプレッシャーは相当なものだろう。
とはいえ、私たちのほとんどはそう硬くなることもない。本番、プラットフォームに昇った時点で、私たちのすべきことはほとんど終わるからだ。テレビにもそう映ることはなく、後は保持するくらいのもの。夏の青空の下に出てしまえば、もう出来る事は何も無い。そう、ただ一人を除いて。
われらがパイロット、片平圭貴にすべては委ねられるのだ。
本番では、少しのミスが命取りになる。高いポテンシャルを持ちながら、わずかな失敗で墜落の憂き目を見た機体は数知れない。まして我々の機体は今まで本番でロングフライトをしたことが無い。しかし、去年の記念飛行や今年の試験飛行を見るに、今年はかなり期待が持てると言えるだろう。
思えば不条理なもので、私たち作業する人間が機体をいいものにすればするほど、パイロットは追い詰められていく。前後、左右のバランスが完璧になるほど、試験飛行で操縦訓練の数をこなすほど、失敗したときの言い訳ができなくなっていくから。そして私たちの期待も大きくなっていくから。片平が背負わねばならない期待は、おそらくオンボードカメラなどよりはるかに重く感じられることだろう。
その重圧と、失敗への恐怖感と、本番への不安と・・・おそらく、私には想像もつかないくらい、片平は数々の心配に苦しめられていることと思う。
しかし、大会をすぐ間近に控えた今となっても、彼は笑顔を見せるのだ。いつもの通り、関西弁の軽いノリで。そんな枷など、気にも留めないとすら思わせるほどに。
「飛ぶでぇ・・・」
しかし、しばしば垣間見せる真面目なこの台詞は、「飛べると信じている」という内に秘めた意思を感じさせる。
だから私も信じようと思う。
鷭が大空を舞うその時を。皆が笑顔になる、その時を。
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